2021年3月
公開講演「ヒロシマを生き抜いて」の講師 切明千枝子さんの紹介
世界的不況から戦争へ大きく踏み出していく1929年に切明さんは生まれました。軍都広島の陸軍三廠と言われた煉瓦造りの被服支廠・兵器廠・糧秣廠のうちの被服支廠の正門近くに実家があり母親が被服支廠で働いていたため構内の保育所に預けられました。小学校2年生の時に日中戦争が始まり、教師に引率されて宇品港から出生する兵士を見送る日が続きました。太平洋戦争が激しくなり、女学校で切明さんが勉強できたのは1年生まで。学徒動員では陸軍三廠すべてに派遣され、1944年には煙草を作る広島地方専売局に通年動員され、1945年15歳のときに8月6日を迎えます。
その日切明さんは足の関節炎のため、2時間の休みをもらって病院に向かう途中爆心地から1.9kmで被爆しました。建物の陰で火傷は負いませんでしたが、体にガラスが突き刺さったまま凄まじい壊滅の街の中を学校に戻りました。爆心地近くの建物疎開作業に動員されていた下級生たちの犠牲は大きく、何人かは学校に戻ってきたものの全身火傷の水膨れで助けるすべもなく、死んでいった女生徒たちを切明さんたちが荼毘に付しました。
2019年から被爆体験証言者として活動を始めた切明さんは今の時代が戦争につながっていく危さを強く感じ、軍都の時代から語り「平和は一生懸命手繰り寄せ掴んで力を尽くして守るべきもの」と伝えます。ぜひ、切明さんから「ヒロシマの心」を受け取ってください。
広島を伝える2つの分科会
1. 被爆体験伝承講話(エスペラント)
広島市の被爆体験伝承者・忍岡妙子が在日韓国人2世朴南珠さんの被爆体験を伝えます。講話は(1)原爆とは何か(被爆の実相)、(2)朴南珠さんの被爆体験、(3)みなさんへのメッセージ、の構成でパワーポイントを使用して語ります。
朴さんの一家がなぜ広島で被爆したのか、戦中の生活、被爆時の状況、戦後の生活など日本のしてきた戦争の中での加害と被害を知って考えていただきたいと思います。
2. バーチャル平和資料館見学(エスペラント)
残念ながらコロナ禍の中で広島平和記念資料館内の見学は時間・人数制限下で予約者のみの入館という事態が今後も続きそうです。団体へのガイドはできない状態です。
分科会では、資料館のピース・ボランティアをしている忍岡妙子が館内の概略説明、展示の中でぜひ見ていただきたい事物などを、パワーポイントを使用して解説します。館内の見学を希望される方は、予習として是非この分科会に参加してください。